2013年11月26日火曜日

”認知症800万人”時代

先週末、土日2夜連続で放送されたNHKスペシャルを見た。

タイトルに”認知症800万人”時代、とあったので、
高齢者福祉の専門職のはしくれとして見過ごせなかったのだが、見ていてつらかった。

1夜目は、「母と息子 3000日の介護記録」で、
元NHKディレクターのA氏が自分の母親を自宅で介護した記録だった。

A氏と司会者、認知症と高齢者介護に詳しい、精神科医、在宅医、訪問看護師、介護福祉士が
一緒に映像を見てコメントを出していく内容だった。

その中の、A氏が夜間の排便に失敗した母親に、強い乱暴な口調で叱責している場面を見て、
以前の自分の姿を思い出したのだ。

言っても効果がないことは分かっている、でも悪態をついてしまう。
言っても効果がないので、更にひどい悪態をついてしまう。
そして、「また悪態をついてしまった」と、自己嫌悪に陥る。
こんなことがいつまで続くんだろう、と不安になる。

そんな、かつての自分の姿である。

他人からはひどい言葉・態度に見えても、本人(母)は平気だったのかもしれない。
しかし、息子のA氏からひどい言葉をかけられたときの、
母の困惑した表情と、手で”ばってん”をつくって返した意味は何だったのか?

A氏が、自分の「認知症高齢者に対する誤った対応」をあえてさらしているのかとも思ったが、
同席者のコメントは「明るい介護(遠慮のない?)ですね」だった。

「あまりにも不適切な言動が多かったので、途中で見るのを止めた」という知人もいる。

せっかく、自宅で介護を続けるために役立つ情報も伝えようとしていたのに、残念だった。


2夜目は、「孤立する認知症高齢者」で、
行政や支援機関に助けを求めることができない実例を紹介していた。

私自身、地方包括支援センター、ケアマネジャー、医師、介護施設などの専門家・機関に
助けを求め、必要なサービスを利用するで、今の平穏な生活を取り戻せている。

ただ、これからは、軽度者を中心に公的な介護サービスがどんどん縮小されてくるので、
自分の身を自分で守る準備も必要になってくる。

自分の身を自分で守る具体的な方法については、次回以降で。

2013年11月18日月曜日

親の介護

今日は、いつものように近所に住む父にコメダで珈琲をごちそうになりました。

父は今、母との二人暮らし(+犬1匹)、介護保険の「要介護2」で、週4日デイサービスに出かけ、週1回訪問リハビリを受けています。

デイサービスのない日は、ほとんど1日ベッドで過ごしてしまうので、リハビリを兼ねて外出に誘いますが、最近のお気に入りがコメダで(冬でも)アイスコーヒーです。

出かけるときは、どんなに時間がかかっても自分で靴を履いてもらい、お店のドアも自分で開けてもらいます。私は見守るだけ。

お勘定も払ってくれるのですが、小銭の計算は面倒らしく、いつも出すのは千円札。最近は常連さんになってコーヒーチケットをきるだけです。

長時間イスに座っていられないので、滞在時間は毎回30分程度。

デイサービスでの出来事や子供の頃の話、若い頃の苦労話などを聞かせてもらっています。

親の介護といっても、今私がやっているのは、毎週1~2回一緒にコーヒーや食事に行くこと、月に1回病院への送り迎え(ついでに昔のなじみの場所へドライブ)をすることぐらい。

毎日父の世話をしてくれている母親の負担が軽くなるようにサポートしているだけです。


今は父も家族も平穏に暮らしていますが、約5年前の最悪の状態から今までの経緯を簡単に振り返ってみます。

父はもともと大酒のみでしたが、63歳頃、意に反して仕事を辞めた頃から酒量が増えました。そして、たしか68歳頃、自動車で立て続けに物損事故を起こすようになり、その際の受け答えに認知症を疑わせるものがあったので、人身事故を起こす前に(強引に)運転をやめてもらいました。

楽しみを奪われたからでしょう、それから更に酒量が増え、1日中酒を飲み続ける生活になり、本人の健康状態・精神状態も家族との関係も悪化していく、悪夢のような数年間でした。

家族だけではアルコール依存の解決ができず、平成21年5月に地域包括センターに相談して「要支援1」の認定を受け、介護予防サービスを利用したが状況は変わりませんでした。

平成21年10月に、アルコール依存からの離脱を目的とした入院治療を行い、退院時には「要介護5」の認定を受け、介護サービスを利用しながら自宅療養を始めました。

多くの方の支援を受けて本人の状況も大きく好転し、平成22年5月には「要介護3」、平成23年5月には「要介護2」となり、今にいたっています。

その間、本人と家族の生活を守るため、「アルコール依存症」「認知症」「介護保険の仕組み」「医療機関との付き合い方」「家族の役割」などを勉強して、各分野の専門家のお知恵も借りて、最善だと思う手を打ってきましたが、幸いにも良い結果が得られて満足しています。

約5年前、先の見えない親の介護の問題で、私は目の前が真っ暗になっていました。

しかし今は、介護で関わるまで、まともに口もきいたことがなかった父と、毎週笑ってお茶飲み話をしています。いい経験をさせてもらっています。












2013年11月8日金曜日

暮らしの安心、私の場合

私が今、自分の「暮らしの安心」を手に入れるために心がけていることは、

(1)リスク感覚をみがくこと、
(2)専門家と対等に話ができる基礎知識を身につけること、
(3)不安や心配の種をそのままにしないこと、
(4)変化に対応できる柔軟な家計をつくること、
(5)「老楽暮らし」の仕組みをつくること、です。

そのために、人の話しをよく聞き、自分でもよく調べて、人まかせにせず、自分で考えるようにしています。

もう少し詳しくお話します。

(1)で言う「リスク感覚」とは、自分をよく理解して、自分にとってのリスクとは何かを知り、世間の常識や広告・マスコミの情報に惑わされて誤った判断をしない能力です。「リスクリテラシー」「リスクセンス」という言い方もされています。リスク管理の本を見ると、「どれだけ安全なら安心なのか」という言葉がよくでてきます。他人から見ると「安全」なのに、自分では「安心」を感じられず、余計な保険を買ったり、健康食品にはまったり、うまい話にだまされる方が多くいらっしゃいます。

(2)は、私が実際にやってきたことです。生活設計の相談をうけるためにFP、住宅に関する相談で金融機関や不動産業者と交渉するために宅建、自分の住むマンションの問題解決のためにマンション管理士、親の介護を機会に高齢者福祉(介護)の専門知識を得るために社会福祉士の勉強をしました。おかげで、各分野の方との話がスムーズになり、ご協力をいただけるようになりました。

(3)については、100%の安心を手に入れることは不可能なので、ムダあるいは根拠のない不安や心配をなくすことから始めています。不安や心配は、無知や無理解からきていることが多く、自分で調べ考えることで解消することが多いと思います。たとえば、老後の年金や医療費負担への不安です。少なくとも、ムダな保険を買ったり、筋の悪い金融商品を買うことは避けられます。

(4)は、今後予想されるインフレへの対応です。最近、一部の生活必需品が値上がりし、来春には消費税の増税もあります。家計収入が上向かなければ、生活は苦しくなるかもしれません。また、国の1000兆円の借金という時限爆弾もいつ破裂するか、誰にもわかりません。そうした変化が起きたときに、自分の暮らし(家計)への影響を最少にするための備えは必要だと思います。

(5)の「老楽暮らし」とは、「老いて楽しい暮らし」のことで、自分が高齢者になっても安心して楽しく暮らせる仕組みを模索しています。そのため今は、何かあったときに声のかけやすいご近所づきあいと一人暮らしの高齢者の見守りで、「共助」の仕組みつくりを始めています。老後の備えを「自助」と「公助」だけでまかなうのは難しいと感じたからです。


今後は、(1)~(5)について、具体的な話をしていきます。








2013年10月31日木曜日

子犬がやってきた

我が家に新しい子犬がやってきて約2週間、今日は2回目の予防接種をしてきました。

しばらくしたらお散歩デビュー?


体調も仕事も、ほぼ元通りになっていたけど、欠けていたのが「犬との暮らし」。

12歳だったマルチーズ(母)を昨年9月になくし、自宅療養の支えだった10歳のマルチーズ(娘)を今年の5月になくし、もう諦めようと思ってた「犬との暮らし」が戻ってきました。

30年間ずっと「マルチーズ」を飼ってきましたが、死んだ2匹への思いが強すぎて、新しい犬を飼う気持ちになれなかったので、また同じ「マルチーズ」を飼う決心がついてほっとしています。

おまけに10年ぶりの子犬、想定外の暴れん坊ぶりに、振り回され苦笑いしています。

よい気分転換ができたので、11月からは真面目にブログを更新していきます。

新聞報道などをみていると、更新をさぼっていたこの半年の間に、私たちの「暮らしの安心」を脅かす動きが活発になってきています。特に、今後の物価上昇と社会保障改革?とやらにどう対応していったらいいか、考えていきたいと思います。

2013年4月24日水曜日

闘病記(16) やっと終った?


予定通り、16日に退院、19日の外来で抜糸も完了しました。

抜糸の最中、「ここまでたどりつけて、ほっとしてます」と私がつぶやくと、
主治医も「私もほっとしています」と返してくれました。

彼なりに心配してくれていたんだと思います。

抜糸から4日たって傷の状態もよくなってきているし、
傷のケアのこつも身につけたので、今度こそ大丈夫だと思います。

今回は、合計43日間も脳外科の病棟に入院していたので、
多くの方のお話を聞いたり、お姿を拝見して勉強になりました。

デイサービスで看護師さんが異常を見つけてくれて、大事に至らなかった方。
ゴルフの最中に異常を感じて、途中で切り上げて事なきを得た方。

30代で下半身の自由がきかなくなり、つらい思いをしている方。
状況が理解できないのだろう、大声で叫び続けている方。
懸命にリハビリに取り組んでいる方。

遠回りはしたけれど、何の後遺症もなく退院できたことを、
本当に感謝しないといけないな、と思っています。


同じ病気(AVM=脳動静脈奇形による脳出血)でも、
出血の場所と程度によっては、様々な障害がでた可能性もあったようです。

しばらくは、外来通院で経過観察が必要ですが、
もう普通の生活を送っていますので、ご安心下さい。

今は、心臓が悪くなってきた犬の健康のほうが心配です。

2013年4月14日日曜日

闘病記(15)延長戦

退院予定日(4月9日)の朝、主治医の「念のため7日間、皮膚に浸透しやすい抗生剤の点滴をしましょう。その方が、お互い安心ですよね」の一言で、延長戦が決まりました。

手術跡のうち、排膿した部分の傷(皮膚)の状態が少し心配になったようで、前のこともあり、慎重になってくれたようです。4回もメスを入れたところだからね。

最初は落ち込んだけど、結果的には良かったと思います。

正直、外来通院による経過観察に一抹の不安(前回みたいに、外来予定日の間に化膿が進まないか)もあったので。

一昨日あたりから、傷の腫れや赤みが目にみえても良くなり、鎮痛剤も要らなくなっています。

主治医も、これなら4月16日(術後2週間)で半分抜糸して退院できそう、と言ってくれました。

まあ、延長戦といっても、朝8時前後の医師の診察、看護師さんの傷の洗浄、10時から30分間の点滴(キュビシン)、血圧と体温の測定をしているだけで、8時間の外出と昼食夕食は外食Okなので、精神的負担は少ないです。

午前中の治療とケアが終わったら、自宅に帰って犬とまったり、好きなものを食べてコーヒーも淹れて、シャワーも浴びて、19時過ぎに病院に戻る生活です。

看護師さんも、元気になったのは外出のおかげですかね?といってくれます。もちろん、風邪などひかないように注意はしています。せっかくここまでこぎつけたのだから。






2013年4月8日月曜日

闘病記(14)明日は退院

明日退院します!

抜糸が終わるまであと2週間かかるので、
家族は早い退院に反対していたけど、

主治医から「血液検査の結果をみると、明日にでも退院できます」と言われて速攻で根回し。

なんとか理解してもらえました。

何をするにも相談なんてしたことのない私が、お伺いをたてるなんて、少しは成長した?

約4ヶ月間、心配と負担をかけ続けてきたんだから、当たり前です。

あと2週間、頭に糸をつけたままだけど、できるところから復帰していきます。

とりあえず、この問題に区切りをつけて、次へ進めることが、本当にうれしい。

2013年4月1日月曜日

闘病記(13)3回目の入院

明日、骨入れを行うため、今日から入院です。

正確な病状・病名は、硬膜外膿瘍と術後骨欠損、手術名は頭蓋骨形成術と言うらしいけど、看護師さんがそう言っていた。

夕方、主治医の説明を聞いていたら、今回は抜糸まで2~3週間かかるかも、とのこと。

そういえば、1回目手術のときは1週間で抜糸だったのに、2回目は2週間かかった。

同じ場所を何度も切るとくっつきが悪くなるらしい。そういえば2回目の方が痛みも強かった。

ということは3回目の今回は...

おまけに、前回のことがあるので、今回は念のため抜糸まで入院して経過を観察した方が安心ですが......とのこと。

1週間で退院して、その後1週間静養して、自由の身になるつもりだったけど、どうなることか。

まあ、今日のところは、余計なことを考えずに寝ることにしよう。もう消灯時間です。


前回、前々回と手術前後に40時間ぐらい絶食になったので、今日は夕食後すぐに夜食とデザートを食べてお腹一杯。




2013年3月4日月曜日

今日のランチ

今日は、幼なじみの同級生とそのお母さんとランチした。
(送迎付きで、お母さんにご馳走になってしまった)

ブログを1ヶ月近く更新していなかったので、
私の体調が悪いのではないかと心配してくれていたので、
元気な姿を見てもらった。
(これで、もう送り迎えはしてくれないと思う)

先日、9時から17時まで拘束される講習にも耐えられたので、
力仕事と満員電車以外は、もう大丈夫だと思う。


術後2週間くらいは、力むと頭蓋骨の穴がポコポコしたり、
動脈の拍動を感じていたけど、1ヶ月もすると気にならなくなる。
 (冷えると少し痛みを感じるので、かぶりものは必要だけど)

しかし、一生に一度で沢山だけど、面白い経験をしていると思う。

4月2日に人口骨を入れる手術をすることが決まったので、
あと1ヶ月間、この状態を楽しむことにする。











2013年2月6日水曜日

闘病記(12) 2回目の退院

2月2日(土)に退院して5日目、
横向きで寝やすい枕も買ってきて、毎日良く眠れて体調もいい。

でも、もう元通りの生活ができるのかと期待していたが、まだちょっと早いみたい。

枕を買いに行った時、駐車場から店内を少し歩いただけなのに、
頭に響く感じ、軽い痛みがあった。

入院中も病院の廊下を歩き回っていたので、大丈夫だと思っていたけど、
歩くスピードが違うのか、地面の硬さが違うのか、意外な発見だった。

とりあえず今週末の抜糸までは、外出を控えておいたほうがよさそう。


病気をするまで、まだまだ自分は人を支える側だと思っていたけど、
この2ヶ月は、多くの方にしっかり支えてもらった。

この経験を生かして、2ヶ月遅れになるけど、
次回から、「暮らしの安心、老後の安心」について書いていきます。



2013年1月30日水曜日

闘病記(11) 保護帽子

今日、主治医の紹介で、福祉用具の営業さんが来てくれた。
今週末にも退院できそうなので、頭を保護する帽子を買う。

後頭部に8センチ角の骨欠損があり、無防備に外を歩くのは少し心配なので。歳を考えて控えめなものにしないと。

今回も前回と同じペースで回復していると思っていたけど、傷の痛みは少しきついみたい。三時間半で鎮痛剤が切れてきた。

でも、ここやメールでいろいろ吐き出せたので、いい気分転換ができた気がする。何もなかったら落ち込んでいたかも。

昨日の昼食から完食していたのに、今日の昼食はほとんど食べられなかった。体調が悪いわけでもないのに。

でもポテトチップスなら食べられた。
病院食に飽きちゃっただけみたい。

退院後初めての食事はもう決めてある。
懲りもせず、また.........。

2013年1月27日日曜日

闘病記(10) 想定外

一時期、想定外という言葉が流行ったけど、
今回の感染はまさに想定外だった。

それが悔しい。

仕事柄、想定外のダメージだけは受けないように、
なんて言っていたのに恥ずかしい。

頭の片隅にもなかったので、患部が少し腫れてきても、
それが感染によるものだと気がつかなかった。

気づくことができれば、もう1週間早く治療を開始できて、
もしかしたら.....なんて考えてしまう。

確かに手術承諾書に、感染のリスクについて書いてあった。
注意深く読んだつもりだったけど、意識できていなかった。

大きな代償を払うことになったけど、
知らないことの恐さを知ることができた。

明日でやっと折り返し地点といったところかな。


闘病記(9) 明日は手術

昨日は5日ぶりの外出。

犬の匂いを嗅ぎに自宅に帰ったけど、
前回と同じように距離をおかれてしまった。

いつもなら膝の上載ってくるのに、
ソファの上からじっと見ているだけ。
最後まで寄ってこなかった。

でも、私が病院に帰ったあとで、
家中を探し回っていたらしい。いじらしいね。

前回の手術前から散髪していなかったので、
落武者みたいになっていた頭をバリカンで丸めた。

いつもの坊主頭。この方がいい。

ちょうど点滴終了。

2013年1月24日木曜日

闘病記(8) 再手術

今日、手術承諾書にサインした。

これで、27日までに奇跡的に抗生剤が効かない限り、
あと2回同じ場所を切ることになる。

なんとか手術を回避できるんじゃないかと期待していたが、
昨日の患部の状態を確認して諦めた。

28日に骨弁とプレートを除去して感染部を洗浄、
そのまま1ヶ月ほど様子をみて、
チタンかセラミックの人工骨を入れるそうだ。

入院が10日x2回と自宅療養、経過観察の期間も含めると、
あとどれだけの時間がなんだろう。

今、夜の点滴が終わったので、今日はここまで。
睡眠薬を飲んで寝ます。


2013年1月21日月曜日

闘病記(7) 再入院

今朝の診察で、患部の状態が良くないことがわかり、抗生剤を点滴で投与するため、入院しています。

術後創部感染というらしい。

脳外科手術では1~2%の確率で起こるらしいが、12月に手術したのも脳動静脈ろうという稀な病気。ため息が出る。

入院といっても、治療は1日に2回点滴をして経過を見守るだけで、抗生剤が利いてくれるのを祈るだけ。

ただ、抗生剤の投与は長くて金曜日まで、それまでに効果がみられなかったときには再手術しかないらしい。

さすがに少しめげてます。

病気の話も、こんなに引っ張るつもりなかったのに。
どうなることだろうか。
 


2013年1月18日金曜日

闘病記(6) すべて順調とはいかないみたい


経過観察のための脳外科外来の予約が1週間後に入っていたが、
傷の様子が思わしくなかったので、今朝、急遽予約外で診察をうけた。

10日ほど前から縫合部の周りが膨らんでいる感じがあったが、
皮膚の下が化膿していたらしい。

後頭部は血流が悪くなることが多く、他の部位に比べて直りにくいらしい。
確かに、寝るときに患部に圧力がかかるので少し気にはなっていたが・・・

診察後すぐ、局部麻酔をして処置をしてもらった。
詳細は書きにくいが、また縫い目が増えた。


検体をとって検査して、しばらく抗生物質を投与して様子を見ることになった。
感染が骨にまで達すると再手術の可能性もあるとのこと。



術後1ヶ月は痛みもなく、順調に回復していたので、
こんなに簡単に直るものなのかと安心していたが甘かった。

なんにしろ、運良くこのまま治ったら、
今回も早めに診察を受けて、早めに発見できたからだと思う。

2013年1月11日金曜日

高額療養費制度はありがたい

今、手元に今回の入院の「診療明細書」がある。

そこに、診療報酬点数が251,043点とあるので、私の治療のために約250万円かかったことがわかるが、私の自己負担額はいくらになるのだろう。

医療費の自己負担割合は3割なので、約75万円(250万円x0.3)となるはずだが、
高額療養費制度によって、1ヶ月の負担の上限額が決まっているので、さらに少なくなる。

私が、
(1)上位所得者の場合は、約17万円 (高額療養費=約58万円)
(2)一般所得者の場合は、約10万円 (高額療養費=約65万円)
(3)低所得者の場合は、35,400円 (高額療養費=約71万円)
となる。

かつては、いったん病院の窓口で約75万円を支払い、数ヵ月後に上記(1)~(3)の高額療養費が戻ってくるのを待つ必要があった。が、現在は、事前に簡単な手続きを済ませておけば、1ヶ月の負担の上限額を支払うだけでよい。とても使い勝手がよくなっている。

私がどの所得区分に入るかは、ご想像にお任せするが、どの区分に入るにせよ、これだけ厚い公的保障があるので、老後もふくめて医療費の支払いを心配しすぎる必要はないと思う。

上記(2)の例でいえば、約250万円のサービスを約10万円の自己負担で受けられるということである。逆に、これだけの大盤振る舞いをしていて、この制度は維持できるのか心配である。

医療費の心配については、仕事をしていてもよく話題になるので、別の機会にもう少し詳しく書いていきたい。





2013年1月8日火曜日

闘病記(5) 無事退院できました

12月15日(土)~20日(木)

(19)社会復帰に備えて、とにかく規則正しい生活と静養を心がける。
   ・6時半起床、21時就寝。定時の食事を完食。
   ・運動不足解消もかねて、病棟内を散歩。
   ・ベッドでは、読書三昧。ネット検索。
   ・楽しみは、病院のそばまで散歩にきてくれた飼犬を6Fの病室から見ること。
   
(20) 18日午前、眼科で視野の精密検査を行う。
   ・手術前にあった、右下の視野障害がほぼ解消。
    →期待以上の結果に大満足。手術できれいに血腫を取り除いてくれたおかげ?

(21)20日午後、脳の血管撮影を行う。
   ・主治医から、検査結果の説明があり、21日の退院許可がでる。
    →自分の体に起きた事をできるだけ知っておきたくて、患部の状態、手術の内容、
     骨を固定するプレートのことまで質問する。 

12月21日(金)

(22)最後の朝食をおいしくいただく

(23)9時頃、退院前に会計窓口で入院医療費の精算。
    ・準備してあった「高額療養費限度額適用認定証」を同時に提出する。
    →窓口で、3割の自己負担額と高額療養費の差額を立て替える必要がない。
    ・生命保険会社の「入院・手術証明書」の作成を依頼する。
    →年明けには入院・手術給付金が支払われるはず。   

(24)10時頃、退院。
    ・同室の患者さんや病棟スタッフにご挨拶。すこし名残惜しい?
    ・久しぶりの外気は冷たくて気持ちいい。
    ・その足で、ちょっと買出し、お昼は○乃屋のラーメン。
    
(25)久しぶりの我が家
    ・飼犬が飛びついてくるはずだったのに、なぜか遠巻きに。しばらく寄り付かず。
    ・とりあえずコーヒーを淹れる。やっぱり自分で淹れたコーヒーが一番。
    ・こたつに入って録画してあった「CSIマイアミ」を2週分見る。
    ・23時に就寝。今日は睡眠導入剤なしでも寝られそう。

12月22日(土)~

    ・退院から3日ほどは、外出もせず自宅で安静。
    ・退院4日目、入院前に違和感を感じた道で自動車を運転したが問題なし。
    ・医療用の帽子・バンダナをネットで購入。
     →意外なほど痛みもなく、今までどおりの生活に戻る。
    ・退院後1週間の診察でも問題なし。
    ・退院後2週間経って、寒さのせいか、傷が少しうずきだす。
     →体にメスをいれると、程度の違いはあれ、そんなものらしい。あせらず慣れるのを待つ。

報告おわり

闘病記(4) 集中治療室から一般病棟へ

12月11日(火)午後~

(16)手術後の約20時間、集中治療室(ICU)で治療をうける。
   ・15時半ごろ意識が戻り、主治医はじめ多くの方から声をかけられる。
    →手も指も足も動き、目も見えて会話もできたので、ひと安心。
   ・左腕には点滴・動脈ライン、指先に酸素飽和度モニター、右腕にはナースコール、鼻から      チューブ(胃管)が入っている。膀胱留置カテーテルも入っているようだ。
   ・傷が気になって寝返りもうてず、同じ体勢(あおむけ)が続くので、背中が重く息苦しい。
    →低反発マクラや体位変換用のクッションなどを借りる。  
   ・主治医から、「翌日の検査結果がよければ一般病棟へ移れる」と聞いていたので、それを励    みに頑張ったが、とにかく時間の経つのが遅い。16時半から眠って目が覚め、もう朝かなと    期待して看護師さんに時間を聞いたら「18時です」といわれ、本当にがっかりした。懲りもせ    ず、それから1時間おきに時間を聞いてしまったが、22時以降はもう聞くのをやめた。
   ・ ぼんやりした意識の中で聞こえてくるのは、絶え間ないモニターやアラームの音、ときおりス    トレッチャーで患者さんが運ばれてくる音。看護師さんが忙しそうに動いている気配がする。

12月12日(水)

(17)10時ごろCT検査を受け、主治医の許可が出て、11時ごろ一般病棟へ移る。
   ・自然光、開かれた空間、それだけで幸せを感じられる。
   ・昼食におかゆが出たが、おながが減っているはずなのに2口しか食べられない。
    →痛みも少なく元気なつもりだったが、体にダメージは残っているみたい。
   ・鼻のチューブと膀胱留置カテーテルを抜いてもらう。
    →すっきり開放感。
   ・見守ってもらいながら、点滴スタンドと一緒に歩いてトイレに行く。
   ・夕食のおかゆも3割しか食べられなかったが、もうあせらない。
    →ベッドで安静にしていると、刻一刻、体が回復していくように感じる。
   
12月13日(木) ~14日(金)

(18)ベッドで安静にして、おとなしく体の回復をまつ。
   ・13日の朝食から食事はすべて完食。果物・飲み物などの間食も欲しくなる。
   ・ 本や新聞を差し入れてもらうが、まだ読む気力はわかない。
   ・主治医が、頭部の手術跡を覆っていた保護材(弾力性のある絆創膏?)を取り除く。
    →以降、患部はむき出し、清潔にするために患部を洗ってよいと言われて驚く。
   ・手術跡を見ると、8センチ角の下が開いたコの字、30本ほどの金属のハリで留めてある。
   ・リハビリもかねて、毎食後コーヒーを買いに1Fの売店に通いだす。
   ・点滴がはずれる。
   ・主治医から、18日に眼科で視野の検査、20日に脳の血管撮影の予定を告げられる。
    →うまくいけば、21~23日に退院できるらしい。
   ・手術直後にはなかった顔面の腫れがでてくる。右目がふさがり、右ほほの下にたるみ。
    →主治医いわく、想定内、退院までには消えるらしい。記念に写真を撮っておく。

つづく
   

   

2013年1月6日日曜日

闘病記(3) 入院から手術まで

12月6日(木)

(10)午前9時から約1時間、脳血管撮影を行う。
   ・検査台に頭、腕、胴を固定して、右ひじの動脈からカテーテルを頚動脈まで入れる。
   ・カテーテルを通して、造影剤を入れては撮影することを繰り返す。造影剤が入るたびに熱感
    があり、血の流れを感じることができる。
   ・撮影が終わりカテーテルを抜いた後、止血のためにひじを延ばした状態で5時間ほど圧迫。    この5時間がつらかった。
   
(11)午後2時から、妻同伴で主治医から画像を見ながら検査結果の説明を受ける。
   ・脳内出血の場所は左後頭葉皮質下のごく浅い部分で、自覚症状と符合。
   ・出血場所の近くに原因だと思われる脳動静脈奇形(ろう)があり、開頭手術を勧められる。
   ・病状や開頭手術以外の方法(カテーテルや放射線)について丁寧な説明があり、こちらの質
    問に対しても納得する回答があった。
    →現在の視覚障害が早期に改善する可能性があり、後遺障害のリスクも低いと判断して、      手術を承諾。5日後の11日(火)に手術を行うこととなる。
    →せっかくなので、自分の脳の断層写真と脳の血管の(血流が動画のように見える)様子を     じっくり観察する。他に異常はないようなのでひとまず安心。

12月7日(金)

(12)手術に必要な正確な情報を得るためにMRI検査を受ける。

12月8日(土)

(13)午後、入院準備のために半日外出。
   ・12月の予定を全てキャンセル。
   ・以前から欲しかった、モバイルルーターとネスサス7を購入。
    →これで入院中の楽しみができる。

12月9日(日)~10日(月)

(14)終日、病室でおとなしくしている。
   ・睡眠導入剤と耳栓(低反発ウレタン素材)で21時就寝にも対応できるようになる。

 12月11日(火)

(15)午前9時、手術開始(手術時間5時間の予定)
   ・当日は絶食、病室で手術衣に着替えて点滴を開始。
   ・ストレッチャーで手術室へ、手術台で麻酔を開始した後の記憶はなし。
   ・手術台で覚醒。その後ICUへ運ばれたらしい。

つづく   

2013年1月4日金曜日

闘病記(2) 発症から入院まで

12月2日頃、

(1)部屋の出入りの時、何度も右肩をぶつける。
   → 50歳をすぎるとこんなに鈍くなるのかと思い、苦笑いする。
(2)右のおでこを柱に強打してたんこぶができ、涙がでる。
   → まだ事態が飲み込めず、何故・・・。
(3)注意していたのに、また右のおでこを柱に強打する。
   → ここでやっと、右側が見えていないのではと疑う。
(4)自動車の運転中、左カーブや右折時に外にふくらみ危険を感じる。
   → 事故を起こす前に検査することにする。

  頭痛や吐き気など、視野障害以外の自覚症状はなし。

12月4日

(5)とりあえず眼科開業医で簡易検査をしたところ、眼と視神経には問題なし。
   → 脳神経外科への紹介状をもらう。やっぱり頭の中で何か起きているのね・・・。
(6)その足で地元の市民病院へ行き、翌日の脳神経外科の受診予約をとる。
   → 地域医療連携室から、急変時は救急外来へ来るようフォローの連絡あり。

12月5日

(7)外来受診後のCT検査で少量の脳出血が見つかり、精密検査のため入院。
   → 診断後は歩行禁止となり、車椅子で病棟へ移動。
   → 6日に脳血管造影検査、7日にMRI検査の予定が組まれる。
(8)予定キャンセルの連絡をするため、数時間自宅へもどる(外出)。
   → この時点では、検査結果が出るまでの数日分だけ。
(9)暇つぶしの本をかかえて病院に戻り、18時夕食、21時就寝。
   → 眠れない・・・・

つづく

2013年1月2日水曜日

闘病記(1)

2012年の年末に、私は何日病院に通ったのだろう?

11月に、私が「過敏性大腸炎」で通院(3日間)。
その通院期間中に、父親が「脳梗塞」で入院したので毎日お見舞い(7日間)。

父親が退院した12日後の12月5日に、私が「脳出血」で入院(17日間)。
そのほかに、入院前の検査通院(1日)と退院後の経過観察通院(1日)。

合計29日。今まで病院とはほとんど縁がなかったのに。
「お祓いしたほうがいいんじゃない」と心配してくれる人もいた。

おかげで12月の約束はすべてキャンセルになり、多くの方に迷惑をかけてしまった。

「脳出血」を起こしたとはいえ、手術もうまくいき、後遺症もなさそうなので、今となってはいい経験ができたのかな、と思う。病気を実際に経験してわかったことも多いので、ご迷惑やご心配をおかけした方への報告も兼ねて、発症から現在までのことを記していきたい。