2013年1月30日水曜日

闘病記(11) 保護帽子

今日、主治医の紹介で、福祉用具の営業さんが来てくれた。
今週末にも退院できそうなので、頭を保護する帽子を買う。

後頭部に8センチ角の骨欠損があり、無防備に外を歩くのは少し心配なので。歳を考えて控えめなものにしないと。

今回も前回と同じペースで回復していると思っていたけど、傷の痛みは少しきついみたい。三時間半で鎮痛剤が切れてきた。

でも、ここやメールでいろいろ吐き出せたので、いい気分転換ができた気がする。何もなかったら落ち込んでいたかも。

昨日の昼食から完食していたのに、今日の昼食はほとんど食べられなかった。体調が悪いわけでもないのに。

でもポテトチップスなら食べられた。
病院食に飽きちゃっただけみたい。

退院後初めての食事はもう決めてある。
懲りもせず、また.........。

2013年1月27日日曜日

闘病記(10) 想定外

一時期、想定外という言葉が流行ったけど、
今回の感染はまさに想定外だった。

それが悔しい。

仕事柄、想定外のダメージだけは受けないように、
なんて言っていたのに恥ずかしい。

頭の片隅にもなかったので、患部が少し腫れてきても、
それが感染によるものだと気がつかなかった。

気づくことができれば、もう1週間早く治療を開始できて、
もしかしたら.....なんて考えてしまう。

確かに手術承諾書に、感染のリスクについて書いてあった。
注意深く読んだつもりだったけど、意識できていなかった。

大きな代償を払うことになったけど、
知らないことの恐さを知ることができた。

明日でやっと折り返し地点といったところかな。


闘病記(9) 明日は手術

昨日は5日ぶりの外出。

犬の匂いを嗅ぎに自宅に帰ったけど、
前回と同じように距離をおかれてしまった。

いつもなら膝の上載ってくるのに、
ソファの上からじっと見ているだけ。
最後まで寄ってこなかった。

でも、私が病院に帰ったあとで、
家中を探し回っていたらしい。いじらしいね。

前回の手術前から散髪していなかったので、
落武者みたいになっていた頭をバリカンで丸めた。

いつもの坊主頭。この方がいい。

ちょうど点滴終了。

2013年1月24日木曜日

闘病記(8) 再手術

今日、手術承諾書にサインした。

これで、27日までに奇跡的に抗生剤が効かない限り、
あと2回同じ場所を切ることになる。

なんとか手術を回避できるんじゃないかと期待していたが、
昨日の患部の状態を確認して諦めた。

28日に骨弁とプレートを除去して感染部を洗浄、
そのまま1ヶ月ほど様子をみて、
チタンかセラミックの人工骨を入れるそうだ。

入院が10日x2回と自宅療養、経過観察の期間も含めると、
あとどれだけの時間がなんだろう。

今、夜の点滴が終わったので、今日はここまで。
睡眠薬を飲んで寝ます。


2013年1月21日月曜日

闘病記(7) 再入院

今朝の診察で、患部の状態が良くないことがわかり、抗生剤を点滴で投与するため、入院しています。

術後創部感染というらしい。

脳外科手術では1~2%の確率で起こるらしいが、12月に手術したのも脳動静脈ろうという稀な病気。ため息が出る。

入院といっても、治療は1日に2回点滴をして経過を見守るだけで、抗生剤が利いてくれるのを祈るだけ。

ただ、抗生剤の投与は長くて金曜日まで、それまでに効果がみられなかったときには再手術しかないらしい。

さすがに少しめげてます。

病気の話も、こんなに引っ張るつもりなかったのに。
どうなることだろうか。
 


2013年1月18日金曜日

闘病記(6) すべて順調とはいかないみたい


経過観察のための脳外科外来の予約が1週間後に入っていたが、
傷の様子が思わしくなかったので、今朝、急遽予約外で診察をうけた。

10日ほど前から縫合部の周りが膨らんでいる感じがあったが、
皮膚の下が化膿していたらしい。

後頭部は血流が悪くなることが多く、他の部位に比べて直りにくいらしい。
確かに、寝るときに患部に圧力がかかるので少し気にはなっていたが・・・

診察後すぐ、局部麻酔をして処置をしてもらった。
詳細は書きにくいが、また縫い目が増えた。


検体をとって検査して、しばらく抗生物質を投与して様子を見ることになった。
感染が骨にまで達すると再手術の可能性もあるとのこと。



術後1ヶ月は痛みもなく、順調に回復していたので、
こんなに簡単に直るものなのかと安心していたが甘かった。

なんにしろ、運良くこのまま治ったら、
今回も早めに診察を受けて、早めに発見できたからだと思う。

2013年1月11日金曜日

高額療養費制度はありがたい

今、手元に今回の入院の「診療明細書」がある。

そこに、診療報酬点数が251,043点とあるので、私の治療のために約250万円かかったことがわかるが、私の自己負担額はいくらになるのだろう。

医療費の自己負担割合は3割なので、約75万円(250万円x0.3)となるはずだが、
高額療養費制度によって、1ヶ月の負担の上限額が決まっているので、さらに少なくなる。

私が、
(1)上位所得者の場合は、約17万円 (高額療養費=約58万円)
(2)一般所得者の場合は、約10万円 (高額療養費=約65万円)
(3)低所得者の場合は、35,400円 (高額療養費=約71万円)
となる。

かつては、いったん病院の窓口で約75万円を支払い、数ヵ月後に上記(1)~(3)の高額療養費が戻ってくるのを待つ必要があった。が、現在は、事前に簡単な手続きを済ませておけば、1ヶ月の負担の上限額を支払うだけでよい。とても使い勝手がよくなっている。

私がどの所得区分に入るかは、ご想像にお任せするが、どの区分に入るにせよ、これだけ厚い公的保障があるので、老後もふくめて医療費の支払いを心配しすぎる必要はないと思う。

上記(2)の例でいえば、約250万円のサービスを約10万円の自己負担で受けられるということである。逆に、これだけの大盤振る舞いをしていて、この制度は維持できるのか心配である。

医療費の心配については、仕事をしていてもよく話題になるので、別の機会にもう少し詳しく書いていきたい。





2013年1月8日火曜日

闘病記(5) 無事退院できました

12月15日(土)~20日(木)

(19)社会復帰に備えて、とにかく規則正しい生活と静養を心がける。
   ・6時半起床、21時就寝。定時の食事を完食。
   ・運動不足解消もかねて、病棟内を散歩。
   ・ベッドでは、読書三昧。ネット検索。
   ・楽しみは、病院のそばまで散歩にきてくれた飼犬を6Fの病室から見ること。
   
(20) 18日午前、眼科で視野の精密検査を行う。
   ・手術前にあった、右下の視野障害がほぼ解消。
    →期待以上の結果に大満足。手術できれいに血腫を取り除いてくれたおかげ?

(21)20日午後、脳の血管撮影を行う。
   ・主治医から、検査結果の説明があり、21日の退院許可がでる。
    →自分の体に起きた事をできるだけ知っておきたくて、患部の状態、手術の内容、
     骨を固定するプレートのことまで質問する。 

12月21日(金)

(22)最後の朝食をおいしくいただく

(23)9時頃、退院前に会計窓口で入院医療費の精算。
    ・準備してあった「高額療養費限度額適用認定証」を同時に提出する。
    →窓口で、3割の自己負担額と高額療養費の差額を立て替える必要がない。
    ・生命保険会社の「入院・手術証明書」の作成を依頼する。
    →年明けには入院・手術給付金が支払われるはず。   

(24)10時頃、退院。
    ・同室の患者さんや病棟スタッフにご挨拶。すこし名残惜しい?
    ・久しぶりの外気は冷たくて気持ちいい。
    ・その足で、ちょっと買出し、お昼は○乃屋のラーメン。
    
(25)久しぶりの我が家
    ・飼犬が飛びついてくるはずだったのに、なぜか遠巻きに。しばらく寄り付かず。
    ・とりあえずコーヒーを淹れる。やっぱり自分で淹れたコーヒーが一番。
    ・こたつに入って録画してあった「CSIマイアミ」を2週分見る。
    ・23時に就寝。今日は睡眠導入剤なしでも寝られそう。

12月22日(土)~

    ・退院から3日ほどは、外出もせず自宅で安静。
    ・退院4日目、入院前に違和感を感じた道で自動車を運転したが問題なし。
    ・医療用の帽子・バンダナをネットで購入。
     →意外なほど痛みもなく、今までどおりの生活に戻る。
    ・退院後1週間の診察でも問題なし。
    ・退院後2週間経って、寒さのせいか、傷が少しうずきだす。
     →体にメスをいれると、程度の違いはあれ、そんなものらしい。あせらず慣れるのを待つ。

報告おわり

闘病記(4) 集中治療室から一般病棟へ

12月11日(火)午後~

(16)手術後の約20時間、集中治療室(ICU)で治療をうける。
   ・15時半ごろ意識が戻り、主治医はじめ多くの方から声をかけられる。
    →手も指も足も動き、目も見えて会話もできたので、ひと安心。
   ・左腕には点滴・動脈ライン、指先に酸素飽和度モニター、右腕にはナースコール、鼻から      チューブ(胃管)が入っている。膀胱留置カテーテルも入っているようだ。
   ・傷が気になって寝返りもうてず、同じ体勢(あおむけ)が続くので、背中が重く息苦しい。
    →低反発マクラや体位変換用のクッションなどを借りる。  
   ・主治医から、「翌日の検査結果がよければ一般病棟へ移れる」と聞いていたので、それを励    みに頑張ったが、とにかく時間の経つのが遅い。16時半から眠って目が覚め、もう朝かなと    期待して看護師さんに時間を聞いたら「18時です」といわれ、本当にがっかりした。懲りもせ    ず、それから1時間おきに時間を聞いてしまったが、22時以降はもう聞くのをやめた。
   ・ ぼんやりした意識の中で聞こえてくるのは、絶え間ないモニターやアラームの音、ときおりス    トレッチャーで患者さんが運ばれてくる音。看護師さんが忙しそうに動いている気配がする。

12月12日(水)

(17)10時ごろCT検査を受け、主治医の許可が出て、11時ごろ一般病棟へ移る。
   ・自然光、開かれた空間、それだけで幸せを感じられる。
   ・昼食におかゆが出たが、おながが減っているはずなのに2口しか食べられない。
    →痛みも少なく元気なつもりだったが、体にダメージは残っているみたい。
   ・鼻のチューブと膀胱留置カテーテルを抜いてもらう。
    →すっきり開放感。
   ・見守ってもらいながら、点滴スタンドと一緒に歩いてトイレに行く。
   ・夕食のおかゆも3割しか食べられなかったが、もうあせらない。
    →ベッドで安静にしていると、刻一刻、体が回復していくように感じる。
   
12月13日(木) ~14日(金)

(18)ベッドで安静にして、おとなしく体の回復をまつ。
   ・13日の朝食から食事はすべて完食。果物・飲み物などの間食も欲しくなる。
   ・ 本や新聞を差し入れてもらうが、まだ読む気力はわかない。
   ・主治医が、頭部の手術跡を覆っていた保護材(弾力性のある絆創膏?)を取り除く。
    →以降、患部はむき出し、清潔にするために患部を洗ってよいと言われて驚く。
   ・手術跡を見ると、8センチ角の下が開いたコの字、30本ほどの金属のハリで留めてある。
   ・リハビリもかねて、毎食後コーヒーを買いに1Fの売店に通いだす。
   ・点滴がはずれる。
   ・主治医から、18日に眼科で視野の検査、20日に脳の血管撮影の予定を告げられる。
    →うまくいけば、21~23日に退院できるらしい。
   ・手術直後にはなかった顔面の腫れがでてくる。右目がふさがり、右ほほの下にたるみ。
    →主治医いわく、想定内、退院までには消えるらしい。記念に写真を撮っておく。

つづく
   

   

2013年1月6日日曜日

闘病記(3) 入院から手術まで

12月6日(木)

(10)午前9時から約1時間、脳血管撮影を行う。
   ・検査台に頭、腕、胴を固定して、右ひじの動脈からカテーテルを頚動脈まで入れる。
   ・カテーテルを通して、造影剤を入れては撮影することを繰り返す。造影剤が入るたびに熱感
    があり、血の流れを感じることができる。
   ・撮影が終わりカテーテルを抜いた後、止血のためにひじを延ばした状態で5時間ほど圧迫。    この5時間がつらかった。
   
(11)午後2時から、妻同伴で主治医から画像を見ながら検査結果の説明を受ける。
   ・脳内出血の場所は左後頭葉皮質下のごく浅い部分で、自覚症状と符合。
   ・出血場所の近くに原因だと思われる脳動静脈奇形(ろう)があり、開頭手術を勧められる。
   ・病状や開頭手術以外の方法(カテーテルや放射線)について丁寧な説明があり、こちらの質
    問に対しても納得する回答があった。
    →現在の視覚障害が早期に改善する可能性があり、後遺障害のリスクも低いと判断して、      手術を承諾。5日後の11日(火)に手術を行うこととなる。
    →せっかくなので、自分の脳の断層写真と脳の血管の(血流が動画のように見える)様子を     じっくり観察する。他に異常はないようなのでひとまず安心。

12月7日(金)

(12)手術に必要な正確な情報を得るためにMRI検査を受ける。

12月8日(土)

(13)午後、入院準備のために半日外出。
   ・12月の予定を全てキャンセル。
   ・以前から欲しかった、モバイルルーターとネスサス7を購入。
    →これで入院中の楽しみができる。

12月9日(日)~10日(月)

(14)終日、病室でおとなしくしている。
   ・睡眠導入剤と耳栓(低反発ウレタン素材)で21時就寝にも対応できるようになる。

 12月11日(火)

(15)午前9時、手術開始(手術時間5時間の予定)
   ・当日は絶食、病室で手術衣に着替えて点滴を開始。
   ・ストレッチャーで手術室へ、手術台で麻酔を開始した後の記憶はなし。
   ・手術台で覚醒。その後ICUへ運ばれたらしい。

つづく   

2013年1月4日金曜日

闘病記(2) 発症から入院まで

12月2日頃、

(1)部屋の出入りの時、何度も右肩をぶつける。
   → 50歳をすぎるとこんなに鈍くなるのかと思い、苦笑いする。
(2)右のおでこを柱に強打してたんこぶができ、涙がでる。
   → まだ事態が飲み込めず、何故・・・。
(3)注意していたのに、また右のおでこを柱に強打する。
   → ここでやっと、右側が見えていないのではと疑う。
(4)自動車の運転中、左カーブや右折時に外にふくらみ危険を感じる。
   → 事故を起こす前に検査することにする。

  頭痛や吐き気など、視野障害以外の自覚症状はなし。

12月4日

(5)とりあえず眼科開業医で簡易検査をしたところ、眼と視神経には問題なし。
   → 脳神経外科への紹介状をもらう。やっぱり頭の中で何か起きているのね・・・。
(6)その足で地元の市民病院へ行き、翌日の脳神経外科の受診予約をとる。
   → 地域医療連携室から、急変時は救急外来へ来るようフォローの連絡あり。

12月5日

(7)外来受診後のCT検査で少量の脳出血が見つかり、精密検査のため入院。
   → 診断後は歩行禁止となり、車椅子で病棟へ移動。
   → 6日に脳血管造影検査、7日にMRI検査の予定が組まれる。
(8)予定キャンセルの連絡をするため、数時間自宅へもどる(外出)。
   → この時点では、検査結果が出るまでの数日分だけ。
(9)暇つぶしの本をかかえて病院に戻り、18時夕食、21時就寝。
   → 眠れない・・・・

つづく

2013年1月2日水曜日

闘病記(1)

2012年の年末に、私は何日病院に通ったのだろう?

11月に、私が「過敏性大腸炎」で通院(3日間)。
その通院期間中に、父親が「脳梗塞」で入院したので毎日お見舞い(7日間)。

父親が退院した12日後の12月5日に、私が「脳出血」で入院(17日間)。
そのほかに、入院前の検査通院(1日)と退院後の経過観察通院(1日)。

合計29日。今まで病院とはほとんど縁がなかったのに。
「お祓いしたほうがいいんじゃない」と心配してくれる人もいた。

おかげで12月の約束はすべてキャンセルになり、多くの方に迷惑をかけてしまった。

「脳出血」を起こしたとはいえ、手術もうまくいき、後遺症もなさそうなので、今となってはいい経験ができたのかな、と思う。病気を実際に経験してわかったことも多いので、ご迷惑やご心配をおかけした方への報告も兼ねて、発症から現在までのことを記していきたい。